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アルバート・コリンズ(Albert Collins、1932年10月1日-1993年11月24日)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のブルース・ギタリスト、シンガー。フェンダー・テレキャスターを使用した、鋭角的なギター・プレイで名を馳せた。 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第56位。 == 来歴 == テキサス州レオナで生まれ、7歳の頃ヒューストンに引っ越す。いとこの影響でギターを始めた。ライトニン・ホプキンスが母方の親戚ということもあり、ブルースにのめり込んだ。当初はオルガン奏者を目指していたが、車に積んでいたオルガンを盗まれた事により断念。一転してギタリストへの道を目指すようになる。1956年にセッション・ギタリストとして初レコーディングを経験。その後『カンガルー・レーベル』と契約し、1958年にデビュー・シングル「The Freeze」を発表。その後、インストゥルメンタル曲を次々と生み出した。 1969年から1970年にかけて、『インペリアル・レーベル』から3枚のアルバムを発表。やはりインスト中心だが、徐々にヴォーカルにも意欲を見せていく。その後『タンブルウィード』から『There's Gotta Be A Change』 (1971年) を発表するが、以後しばらくライヴ活動が中心となる。ロバート・クレイは、この時期のアルバートの演奏を見て大きな影響を受け、自分のバンドを結成した〔Robert Cray Official Website - Band 〕。 1978年、ブルース・レーベル『アリゲーター・レコード』と契約し、久し振りのスタジオ・アルバム『Ice Pickin'』を発表。同作では8曲中6曲で歌っており、シンガーとしての成長も見せた。その後『Frostbite』 (1980年) 、ライヴ盤『Frozen Alive』 (1981年) を次々と発表し、1982年には初来日公演も行う。このときの様子は、ライブ・アルバム『Live In Japan』 (1984年) としてレコード化された。 ロバート・クレイ、ジョニー・コープランドとの連名で出したセッション・アルバム『Showdown!』 (1985年) も話題となり、グラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞〔Showdown! - Albert Collins, Johnny Copeland, Robert Cray | Awards | AllMusic 〕。また、1985年にはライヴエイドにも出演。1986年のアルバム『Cold Snap』では、少年時代に憧れていたオルガン奏者との共演を果たした〔。1987年には、前衛サックス奏者ジョン・ゾーンのアルバム『Spillane』にゲスト参加。 1988年7月には、ジャパン・ブルース・カーニバルに出演のために再来日を果たした。同カーニバルには1991年にも出演、また翌1992年にはマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルへも出演し、来日は計4回を数えた。 1990年代に入ると、ヴァージン・レコード傘下の『ポイントブランク』に移籍。1991年、同レーベルからアルバム『Iceman』をリリースしている。また、ゲイリー・ムーアの『Still Got The Blues』 (1990年)や『After Hours』 (1992年)、ジョン・リー・フッカーの『Mr. Lucky』 (1991年)、B.B.キングの『Blues Summit』(1993年)といったアルバムにゲスト参加した。『ポイントブランク』からは『Iceman』(1991年)と、過去のレパートリーを新たに再演した『Collins Mix:The Best Of Albert Collins』 (1993年) を発表(後者にはゲイリー・ムーア、B.B.キング、ブランフォード・マルサリスがゲスト参加)。しかし、1993年11月24日、癌のために亡くなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルバート・コリンズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Albert Collins 」があります。 スポンサード リンク
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